2017年 1月

2017年

皆様明けましておめでとうございます。
2017年も宜しくお願いします。

さてさて私自身は久しぶりに父親に戻り家族でゆっくり過ごせています。
我が子の前ではりきって2重跳を披露し首の筋を痛めるという情ない42歳ですが。
この数日間の充電期間があるからこそ充実した仕事が出来ます。

元旦は自分の実家でゆっくりしました。
生まれて育った場所ですので自然に落ち着きますよね。

私は5人家族で育ちました。
父、母、姉、私、お婆ちゃん。

お婆ちゃんは7年前に他界しましたが94歳まで頑張り。
近所でも有名な日本舞踊の先生でした。

私は指導者のような道に進むつもりはなかったので不思議な血を感じますが。
そんなお婆ちゃんが私が指導者になる時に「勉強みたいに教科書が無いから難しいんだよ」と。今はその深い言葉が理解できます。

父親は今年77歳の喜寿を迎えます。
昭和15年生まれですので戦争経験者です。
昔ながらの厳しい亭主関白の父親でした。

母親は父親より9歳若く、父が厳しかった分優しかったです。
専業主婦でしたので常に家にいて私はそういう意味で寂しい思いをした事がありませんでした。

そして2つ上の姉。
父親が始めての子という事もありかなり厳しく育てられたようで。
小さい頃から私を守る?事を使命感のように抱いていた優しい姉です。

そんなルーツで私は育ちました。
私の人間性の基盤は家族にあります。
家族の中で厳しさ、優しさ、常識、色々な事を学んだような気がします。

当然ですが私の有無は誰の責任でも無く親の責任であるという父親でしたので。
私がやりたい事などは、ほぼ全てやらせて頂きました。裏を返せば自分の育て方に絶対の根拠があったように思います。常に選択時は「お前が決めた事ならそれでいい」という言葉だったように思います。
結婚相手にも何も言わず「お前が選んだな人ならそれで良い」という言葉だけでした。奥さんが良かったと思いますが。笑

子供の選択に信頼を寄せてくれるのは何かあれば親の責任という腹のくくりとそういう形で育てたという事だったのかなと。

私は男の子でしたので父の影響を強くうけていると思います。
家族で何処かに旅行するとか、どこかに遊びに行くような事はほとんどありませんでしたが。
子供ながらに「家族を守る」という気合は背中で感じていました。
男は家族を守るためにまず稼いでくるというようなタイプの父親でしたので。
ひ弱さみたいなものは全く感じませんでした。
常に強いイメージです。
父の涙は生涯、後にも先にもお婆ちゃんのお葬式の一度だけです。

今、私も家族がいます。
そうのような家庭で育ったので私自身も子供達に同じ事を抱いています。
私が父親に抱いていた「強さ」見ないな物を子供達が感じているかは定かではありませんが。
私は父親ほど強くないので、ただ常に何かにチャレンジし前に進んでいるという父親でいたいと、強くは無いが魅力的な父親でいたいと。
何か子供達が感じてくれるような生き方をしたいなと。

子供達の生き方より、子供達に恥じないような生き方を自分が出来ているかが問われているような気がします。

私は実家に戻るとこの家族で育って良かったと思います。
家族という単位は一番最初の一番最小のグループです。
ここの環境が大き人生の基盤を作り上げます。

私自身も上手くいかない事の方が多いですがその気合だけは持って生きたいです。
常に酒に酔って寝てしまう父親では無理かもしれませんが。笑

新年にそんな決意も悪くないですね。
今回は自分の事だけですみません。
常に最前線で家族のために働いているお父さんに共感頂ければ幸いです。

ただ、それは奥様の多大なサポートがあるから出来る事だけは忘れてはいけませんよ。
奥様には感謝の気持ちを忘れないようにしましょうね。お父さん。

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