目的

気がついたら年末です。
年末ですので1年を振返る時期にきています。このような話題を。

「目的」

サッカー指導者には当たり前のフレーズになっていますが。
サッカーの目的は「ゴールを奪う」ことです。
ドリブルで相手を抜くことも、パスを繋ぐことも目的では無くゴールを奪うための手段です。
ドリブルで相手を抜くことが、パスを繋ぐことが目的になってしまうと本来の目的であるゴールにたどり着けない場合もあります。

少し伝わりづらいですね。

硬いですが人生に置き換えてみると。私の考えですのであしからず。
人生の目的は「生きる」ことです。
子供のうちは自分で生きる力がありません。親に生かされています。
動物達も子供のうちは自分で狩が出来ません。親が狩で得たえさをわけてもらって生きています。
動物達もずっとこの関係が続くわではなく、ある時期がきたら子供たちに狩を教えるためにえさを与えず、子供たちは狩を覚えなければ生きることは出来ません。子供たちは生きる力を身につけ大人になり、そして親になって子供たちに生きる力を教えていきます。

成績の良い学校に進学することも、社会的信用の高い会社へ就職することも目的では無く生きるための通過点です。
そこに進学したから、そこに就職したから生きていける訳ではありませんよね。
その通過点で何を学ぶかが生きる力を身につけます。
目的がはっきりしていればそこで起こる全ての現象を経験に変えていけますが、はっきりしていないと挫折に変わります。

それではサッカーをする目的は「生きるための糧をつくる」ことです
糧とは食物、食料という意味があります。まさに体を生かすためのエネルギーになります。
生きていくためのエネルギーと考えると分かりやすいですかね。

勝つことも負ける事も糧を培うための大事な通過点です。
目標に向かって全力で努力することも糧を培うための大事な通過点です。
仲間と共に歩むことも、仲間の気持ちを感じることも、感謝する気持ちも糧を培うための大事な通過点です。
サッカーを通じて色々な現象を経験に変えた選手達は生きていく糧を蓄積していきます。

目的がずれてしまえば本当に獲得したいものはずれていきます。歪んでしまう場合もあります。

親が子供に願うのは健康で自分より長くいき続けていく事だけです。
指導者が選手に願うのは健全に指導者より長く何らかの形でサッカーに関わっていく事だけす。
大人は次の世代の子供たちに生きる力を繋いでいく大事な作業があります。
子供たちはいずれか大人になりまた次の世代の子供たちに生きる力を繋いでいきます。

だからこそ子供達に関わるときに何のためにという「目的」を持っていたいです。
まだまだ私も親としても指導者としても勉強が必要です。
こんな言葉があります。

子供を変えたければ、まず親が変わらなければ。
子供を成長させたいなら、まず親が成長しなければ。

何か刺さりますよね。
自分のことは棚に上げて、子供にガンガン要求してることありますよね。
子供は冷静に親を観てるんでしょうね。
結局は自分の成長なんですね。

コメントをどうぞ

※投稿されたコメントはこちらでの承認後、表示されます

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

*