雑記

6年生

6年生として活動するのは3月23日(木)までです。
6年生としての最後の試合、大会は先日参加した岡崎フレンドマッチサッカー大会。

私が9年前に中学生のクラスを立ち上げたのは。
もう3年間選手達と関われるという理由だけです。
目的が違っていれば苦しい時期に踏ん張れなかったかも知れません。

そんな前置きはさておいて。
最後の試合、大会で見事、優勝という素晴らしい結果を手に入れる事が出来ました。

6年生

6年生

長い選手は8年間の頑張りが形に残ったのは素晴らしいです。
そんな頑張った選手達に更なるご褒美が。
中日新聞朝刊掲載!

中日新聞掲載

中日新聞掲載

かなり大きく取り上げて頂き、素晴らしい証になったと思います。

23日(木)を持って中学生クラスに上がる選手とそうでない選手に別れてしまいます。
仕方が無い事ですが。
前述した私の思いは もう3年間です。

やれる場所とやれる時間があるなら………….。
なんて未練がましく思ってしまいますが。
このクラブの代表であり、幼稚園や小学校低学年の頃から知っている選手が大半なので。
まだ諦めてないですよ!!
粘り強さが私の強みなので。笑

以前にも書いたかも知れませんがクラブとして6年生終了時にお別れ会的な事は行った事がありません。
それは私の思いです。最後は中学3年生だと思っていますので。

こんな感じで申し訳ないですが思いが強いので。
私は。

3月3日

3月3日はひな祭り、桃の節句ですが。
今日は愛知県内の公立中学校は卒業式です。

県立高校を受験する選手達はまだまだ卒業という感じはしないでしょうが。

中学3年生の選手の皆様、卒業おめでとうございます。

毎年、卒業式をむかえるにあたって感じる事は早いな。と
長い選手は11年間の在籍。でも早いな。

過去の話は色々ブログにも書いているので。
F.C.Toyoakeの未来が更に輝かしいものになるために努力をするのですが。
未来が輝かしいものになるとしたら。

基盤は彼らが作った事に間違いは無いです。

そして彼らの未来もこれからです。
高校サッカーという未知の世界へ。

もしかしたら今後は対戦相手になる選手達もいるかな。
互いに成長した姿で会えたら最高ですよね。

続けていく事しか成長は出来ません。
色々あるとは思いますがあきらめずに続けていく事しか成長という道はありません。

何事も。

それでは卒団式で。笑

 

 

 

 

 

それぞれの昇格

サッカーの世界では。
数年前はトーナメント方式が主流でした。
利点も欠点もあり選手達の育成のためにはやはりリーグ戦である。

最近はリーグ戦が主流です。簡単にいうとJリーグと同じです。
年間通じての勝敗が順位を分けて、昇格、降格があるという形。
是非や詳しい内容は割愛し育成年代もこのような感じです。

私の主観で言うとリーグを優勝し一つ上に上がるということは非常に難しい。
長丁場にて10試合程度こなしていきます。
そこを悪い状況の中でもほぼ負けず戦い抜く力はそんなに簡単な事ではありません。
逆に歯車が狂えばグランパスのように降格なんて事も大いにありえます。

2016年度後期は3カテゴリーで優勝し、そのうち2カテゴリーはリーグを一つ上げて2部への昇格を決めました。

まずは東尾張地区U-12Aリーグ戦優勝 6年生

U-12クラス

U-12クラス

5年生時に2部に降格するも6年生前期で昇格し6年生後期で優勝。
苦しみながら成長し逞しさが増しました。

つぎは東尾張地区U-11Cリーグ優勝。来期Bリーグ昇格。

U-11

U-11

U-11前期リーグ時に昇格のチャンスがありPK戦で敗れるという悔しい敗戦から後期は全勝にて文句なしの昇格。
彼らのひたむきな姿勢は私自身が描くF.C.Toyoakeそのもです。
成長は他人との比較ではなく昨日の自分なのです。私の最も好きな言葉を体現してくれています。

最後はU-13リーグ戦Cブロック優勝。

U-13

U-13

ここには非常に深く感慨深い物があります。

数年前のジュニアユースクラス(中学生)は昇格を夢見ることするゆるされない現実でした。
多くの選手は他クラブへ移籍し試合をする人数もまばならない。
苦しくて、辛くて、諦めそうになる毎日を数人の選手で戦いました。
私達も選手達も本当に苦しい中・・・・。
正直、残ってくれた選手達に助けられたのが事実です。

私は彼らが在籍している時期は何も良い経験をさせてあげることが出来ませんでした。
悔しくて情けなくて苦しくて。
過去は変えられません。変えれるのは未来だけです。
当時の彼らには何も良い思いさせてあげられなかった分、彼らが在籍したクラブが成長し彼らが誇れる今を作るしかないと思って努力してきました。

まだまだこれからですが。
苦しかった当時、それでもこのクラブを信じ3年間在籍しつむいでくれた彼らにもっと感謝の恩返しがしたいと思っています。

まだまだこれからです。
私自身の感謝の道は進んでいきます。

 

 

2月1日

2017年が始まり。
早1ヶ月が経ちました。

1月は新年の余韻で飲み会が多く何となくまだまだ新年気分でしたが。
ここからは次年度の手続きや募集要項など17年度に向けて急激な動きに変わります。

そんな中、1月後半。
とある中学校にて「職業人に学ぶ会」に出席させて頂き中学生に30分×2回程度お話をさせて頂きました。

私は「サッカー指導者」という仕事をしている立場で話をさせて頂きましたが。
これを仕事と認めて頂けるまでにはまだまだ時間がかかるようです。

私はこの仕事を約20年近く誇りをもってやっています。
当然この仕事だけで食えない時代の方が長かったですが。

人にはよく「昼間何してるの?」とか「練習の時間だけでしょ働いてるの?」とか言われ続けましたし、今も言われるかな。
「食べてけるの」とか「家族養える」とかも言われましたね。今も。笑

おそらく一般的なイメージなんでしょうね。
そんな中で今回のように中学生に対して社会人として一つの仕事としてお話をさせて頂けた事は本当にありがたい事です。

私は昔、営業マンの頃に上司からこんな事を言われていました。
「当社が扱っていない商品でも売れる営業マンになりなさい。」
「商品知識や説明だけで勝負するのではなく人間力でも勝負しない。」
「そうすれば全く知らない商品も売れる営業マンになれる。」

今、考えれば素晴らしい言葉で深い意味を考えさせられます。

指導者である前に一人の社会人で、一人の社会人である前に一人の人間です。
今、サッカーを通じて色々な事をやらせて頂いています。指導者もその中の一つですが。
企業の方や行政の方、医療の方など色々な方と関わりながら仕事をさせて頂いています。

私がサッカーしか教える事が出来なければ。社会性の幅は狭いですよね。
そんな経験の薄い指導者に教えてもらいたいとも思えない気がします。

サッカー指導者がサッカー指導だけでは無く、社会人として、人間として認めて頂ける様になって始めて仕事として社会に認めて頂ける様な気がします。

そんな事を中学生に話しながら、自分にも強く言い聞かせていたように思います。
このような機会を与えて頂けた事に感謝しつつ、私の人間力も多少向上したかな?と。笑

ただこの話の根底はそもそも私自身が社会人として認めて頂けてるのかな?
まだまだ努力が足りないですね。
という事で2月も私の仕事であるサッカー指導者を頑張ります!!

2017年

皆様明けましておめでとうございます。
2017年も宜しくお願いします。

さてさて私自身は久しぶりに父親に戻り家族でゆっくり過ごせています。
我が子の前ではりきって2重跳を披露し首の筋を痛めるという情ない42歳ですが。
この数日間の充電期間があるからこそ充実した仕事が出来ます。

元旦は自分の実家でゆっくりしました。
生まれて育った場所ですので自然に落ち着きますよね。

私は5人家族で育ちました。
父、母、姉、私、お婆ちゃん。

お婆ちゃんは7年前に他界しましたが94歳まで頑張り。
近所でも有名な日本舞踊の先生でした。

私は指導者のような道に進むつもりはなかったので不思議な血を感じますが。
そんなお婆ちゃんが私が指導者になる時に「勉強みたいに教科書が無いから難しいんだよ」と。今はその深い言葉が理解できます。

父親は今年77歳の喜寿を迎えます。
昭和15年生まれですので戦争経験者です。
昔ながらの厳しい亭主関白の父親でした。

母親は父親より9歳若く、父が厳しかった分優しかったです。
専業主婦でしたので常に家にいて私はそういう意味で寂しい思いをした事がありませんでした。

そして2つ上の姉。
父親が始めての子という事もありかなり厳しく育てられたようで。
小さい頃から私を守る?事を使命感のように抱いていた優しい姉です。

そんなルーツで私は育ちました。
私の人間性の基盤は家族にあります。
家族の中で厳しさ、優しさ、常識、色々な事を学んだような気がします。

当然ですが私の有無は誰の責任でも無く親の責任であるという父親でしたので。
私がやりたい事などは、ほぼ全てやらせて頂きました。裏を返せば自分の育て方に絶対の根拠があったように思います。常に選択時は「お前が決めた事ならそれでいい」という言葉だったように思います。
結婚相手にも何も言わず「お前が選んだな人ならそれで良い」という言葉だけでした。奥さんが良かったと思いますが。笑

子供の選択に信頼を寄せてくれるのは何かあれば親の責任という腹のくくりとそういう形で育てたという事だったのかなと。

私は男の子でしたので父の影響を強くうけていると思います。
家族で何処かに旅行するとか、どこかに遊びに行くような事はほとんどありませんでしたが。
子供ながらに「家族を守る」という気合は背中で感じていました。
男は家族を守るためにまず稼いでくるというようなタイプの父親でしたので。
ひ弱さみたいなものは全く感じませんでした。
常に強いイメージです。
父の涙は生涯、後にも先にもお婆ちゃんのお葬式の一度だけです。

今、私も家族がいます。
そうのような家庭で育ったので私自身も子供達に同じ事を抱いています。
私が父親に抱いていた「強さ」見ないな物を子供達が感じているかは定かではありませんが。
私は父親ほど強くないので、ただ常に何かにチャレンジし前に進んでいるという父親でいたいと、強くは無いが魅力的な父親でいたいと。
何か子供達が感じてくれるような生き方をしたいなと。

子供達の生き方より、子供達に恥じないような生き方を自分が出来ているかが問われているような気がします。

私は実家に戻るとこの家族で育って良かったと思います。
家族という単位は一番最初の一番最小のグループです。
ここの環境が大き人生の基盤を作り上げます。

私自身も上手くいかない事の方が多いですがその気合だけは持って生きたいです。
常に酒に酔って寝てしまう父親では無理かもしれませんが。笑

新年にそんな決意も悪くないですね。
今回は自分の事だけですみません。
常に最前線で家族のために働いているお父さんに共感頂ければ幸いです。

ただ、それは奥様の多大なサポートがあるから出来る事だけは忘れてはいけませんよ。
奥様には感謝の気持ちを忘れないようにしましょうね。お父さん。

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